昨年3月17日、突然Kさんから電話をいただきました。ちょっと相談があるから、来てほしいというのです。
いつもどおりの元気な声音.なので、「いまご自宅ですか、お店ですか」と聞けば、「病院からなんですよ」との答えに、一瞬とまどっていると、「癌の告知を受けたんです」。それで、相談したいことがある、というのです。
即座に伺うべきではありましたが、なにぶんにも彼岸中ですので、20日のお中日の彼岸法要を済ませるまでは、どうにもやり繰りがつきません。それで、21 日に病院にお訪ねしました。彼岸というのに、雪まじりの雨の降る、寒い日でした。
付き添いの娘さんが席をはずすと、「この病室からもう出られないことは、覚悟しています」と、いきなり話し始められます。一言話しては、肩で息をするといった状態で、わずか4日前に電話を頂いた時とは大違いです。
Kさんは強い人です。南方戦線-ニューギニア-から、部隊でたった3人、生還してこられた中の1人で、戦後は商売一途に邁進してこられました。今度の病気でも、「重大な病気なら、仕事や家庭の問題を片付けなければならないから」といって、医師を脅かすようにして、告知してもらったのだそうです。
「死んだら、あなたに葬式をやってもらいたい。それから」とKさんは言われます。「つい1ヶ月前に癌が発見されるまでは、こんなことは考えたこともなかったけれども、『何事も前向きに、前向きに』というこれまでの生き方だけでいいんだろうか…」
それから、戦友たちの「がんばれよ、K」という声に送られて、自分ひとりが斬り込みに出かける夢を見たといいます。
「ほんとうにお浄土はあるんでしょうか。そして、そのお浄土へ、私は往けるんだろうか」。
これは、もう、たましいの叫びです。「ある」とか、「ない」とか、「往ける」とか「往けない」とか、そんな答えを求めておられるのではありません。
しばしば訪れるはげしい嘔き気の合い間に、私は申しました。「Kさん、あなたは強いお方だ。あなたは今、最後の戦いに、たった一人で立ち向かっておられる。全力を尽くして、この苦しい戦いを戦い抜いてください。但し、この戦いは、まったく勝ち目のない戦いです。最後は如来さまにお任せして、さあ、お念仏申しましょう」。
面会謝絶の個室で、kさんと私は、手を取り合って、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と、しばしばお念仏申しておりました。
翌々日伺った時には、痛み止めの注射か何かのためか、うつらうつらしておられて、「Kさん」と呼びかけても、反応はありません。初めのお見舞いから1週間後、28日に、Kさんは亡くなられました。享年70歳。
早いもので、もうじき一周忌ですが、とっくに白骨になられたKさんは、今なお生きて、私に語りかけ問いかけて、「お念仏申せ」と、死を超える道を教えていて下さいます。
南無阿弥陀仏
稲垣 俊夫(いながき としお 東京都台東区 通覚寺前住職)