通夜説教とはその名の通り、亡き人を縁として夜通し教えをいただく機会を表現したものです。お通夜の原型はお釈迦さまの入滅後、悲しんだ弟子たちがご遺体を見守りながら7日間にわたって、生涯をかけて説かれたお釈迦さまの教えを、夜通しお互いに語り合い、聞き合ったとされる故事からきている説があります。通夜は、故人の冥福をことではなく、集まった親しい人々が亡き人を縁として、教えに出遇っていただく大切な時間です。
この度の「報恩講の夕べ」において、4人の講師の方々にご法話をいただきました。
なぜ私はお念仏申す身になったのか
茨城)水戸市 報佛寺 河和田唯章

「正信偈」を読んでいて、曇鸞大師(どんらんたいし)の部分が好きなのです。曇鸞大師という方は初め、仏教の空(くう)の教えや縁起の教えを深く学ばれた方でございます。50歳ぐらいまで学ばれましたが、健康不安があったということで仙経(せんぎょう)を求めていくのです。仙経というのはいわゆる長生きの法でございます。これからもっと勉強したいし、私が学んできたことを皆にも伝えていきたいと。そのためにはまずは自分の体を長生きさせなければいけないと。曇鸞大師は修行の末に仙経を授かり、意気揚々と都に帰ってくるわけです。そこで菩提流支(ぼだいるし)という翻訳家に出会い質問をするのです。「仏教にはこれ以上の長生きの法がありますか」と。そうしましたところ、菩提流支にひどく怒られたというのです。「このばか者が。おまえは50歳まで仏教を学んできたと聞いたが、一体何を学んだのだ」そして「仙経を学べば多少は長生きできるだろう。しかしながら、多少長生きしたところで、迷っている者が長生きしてどうするのだ」と。そこで曇鸞大師ははっとしまして、この仙経を焼き捨ててゆくわけでございます。「正信偈」の「焚焼仙経帰楽邦(ぼんしょうせんぎょうきらくほう」という所ですね。仙経を自ら捨てさせるものに出遇ったのです。
他の七高僧は「こういうことを、この様に明らかにしてくださいました」と説かれているのですけれども、この曇鸞大師だけは何か迷いの部分があるのです。迷っていた人間が浄土の教えに触れていく瞬間と言いますか、その転換の場面が描かれていく。ここにとても魅力を感じるのです。親鸞聖人もやはり迷っていらした方ですし、お釈迦さまももちろんそうでございます。
この浄土真宗の歴史というのは、迷っていた人間が紡いできた教えではないかと思います。迷いの中で一筋の光に照らされた人間たちです。その光の意味が最初は分からないかもしれません。しかし、何かどこかで、これは本当のことを示している、照らしている光なのだなと気付かされる。その光に気付かされた人間たちが紡いできた教えが、このお浄土の教え、お念仏の教えでないかといただいております。私自身も迷いの存在です。だからこそ、同じく迷った人間が示してくださった道がある、そういう方が一緒にいてくださるというのが非常に心強いのです。それがお浄土の、お念仏の教えの大きな魅力でないかといただいております。
宗祖を尋ねて
埼玉)上尾市 照誠寺 建部 淳曜

平素自坊で報恩講をお勤めするとき、宗祖を憶念することが全くなく、失念しっぱなしでした。いろいろな事に追われているからですが、余裕があれば憶念できるわけでもありません。私の根性が宗祖に対する関心を持たせないのかなと思います。今日は改めて宗祖の人物像、生活のお姿などを尋ねたいと思います。
宗祖を尋ねる時に「南無阿弥陀仏をとなうれば/観音勢至(かんのんせいし)はもろともに/恒沙塵数(ごうじゃじんじゅ)の菩薩と/かげのごとくに身にそえり」(『真宗聖典』488頁)という和讃が気になります。光が届くところに影が生まれるので、法が届いていることを自覚させてくれるのが影の特性であると思います。
大谷専修学院に在学時、学院長の竹中智秀(たけなかちしゅう)先生とお話したときに「君は太陽を仏様と感じたことはないか。いつでも、どこでも、だれにおいても、無差別平等に光を与えてくれる。仏様と同じだと思わないか」と言われました。当時は意図がよく分からず、頷けませんでした。昨年の9月頃に自分の影を見ながら「太陽が仏様なら自分は仏様に完全に背いているのでは」と思いました。太陽に対して背中を見せなければ自分の影は見えません。仏様と出遇うというのは必ずしも正対したものではなく、背いている時にこそ出遇いの事実が開かれているのではないかと思うのです。救いが届いてなお、背いていこうとする自身の姿を、影から気づかされました。和讃に「十方微塵世界(じっぽうみじんせかい)の/念仏の衆生をみそなわし/摂取(せっしゅ)してすてざれば/阿弥陀となづけたてまつる」(『真宗聖典』486頁)とありますが、その中の「摂取」の左訓(さくん)に「ものゝにくるをおわえとるなり(ものの逃(に)くるを追(お)わえ摂(と)るなり)」とあります。弥陀大悲の救いが私に届いても逃げるから、逃げる私を追わえ摂るわけです。しかし、逃げている時には後ろを振り返る余裕はないと思うのです。どこまでも仏様に背いていることを知らしめるのが影のもう一つの特性であると思います。
『歎異抄』後序に「聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」」(『真宗聖典』640頁)とありますが、その「かたじけない」という言葉は本願の「一人(ひとり)ばたらき」に頭が下がる、そういう宗祖の姿が端的に示されていると思うのです。唯円が「聖人のつねのおおせには」と受け取っておられるのは、その宗祖の姿と出遇っておられたからだと思います。
ですから宗祖は、ご自身の影を見ているような場面があったら、そこに「かたじけない」と本願に頭が下がる。そういう姿をもって念仏を申しておられたのではないかと。これが私の出遇わせて頂いた宗祖のお姿です。 ただ、私の中に出来上がった親鸞聖人像を、確かめることが必要になってくるかなとは思うのです。