お預かりしているお寺では、毎週日曜日の午前9時より、近所の子どもたちがお参りできる「日曜礼拝」を開いている。近頃の子どもたちは習い事などで忙しいらしく、一人も来ないということも往々にしてあるのだが、子ども会を始めた当初の私は、「いかに人数を集められるか」ということに執心して悩み、もう辞めてしまおうかとさえ思っていた。
そんなある日のこと、小学校低学年の男の子が一人でお参りに来た。彼は本堂へ入るなり、自分のほかに誰もいない堂内を見まわして、「なんだよ、オレだけかよ~」とぼやいた。彼はお調子者で、いつも仲の良いお友達と来ると終始、ふざけてばかりいる少年だった。勤行本より遥かに大きな漫画雑誌『コロコロコミック』を隠し読み(?)したり、それを注意すると今度は本堂を飛び出して行ってしまったり。私は、きっとこの子はお勤めをするのが大嫌いなのだろうと思っていた。
しかしその日、お勤めが始まって驚嘆した。彼が「正信偈」を、朗々とうたい始めたのだ。しかも空で。素直な声を背中で聞きながら、この子のことを知っていると思い込んでいた自分を恥じた。
勤行が終わってから、思わず彼に「どうして今日は真面目にお勤めしたの?」と訊くと、「だって、みんなの前じゃ恥ずかしいじゃん」と照れたように笑った。茶の間へ移動して、一緒にお茶菓子を食べている時にも、やはり普段の彼からは聞けないような、学校や家で悩んでいることを自分から打ち明けてくれた。私は以前から「子ども会は人数ではない」と聞いてはいたが、この時初めて、彼からその事実を身を以て学ばせてもらった。
今春、少年は高校へ進学するという。彼が小学校を卒業してからは学業や部活動が忙しくなり、なかなか会えなくなってしまったが、お陰様で今週も、本堂には近所の子どもたちの元気な声が響いている。
『Network9(2024年3月号)より引用』田宮 真人(東京8組 究竟寺)