『人間の諸問題が〈人間界〉では決着つかん』
人間の「諸問題」は、突き詰めてみると「あれかこれか」という質の問題だ。民主主義は素晴しいと言って、手を挙げた結果、「49対51」になったらどうするか。その49人は51人の意見に従わねばならないのか。それでは「決着つかん」のではないか。
近頃「同調圧力」という言葉が気になっている。ウィキペディアでは、「同調圧力(英: Peer pressure)とは、地域共同体や職場などある特定のピアグループ(英: Peer group )において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に強引に合わせさすことを指す。」とあった。
〈真宗〉は常に、どの時代でも「少数意見を有する者」の側にある思想ではないか。太平洋戦時下では、「少数意見を有する者」の側であることに踏ん張り切れなかった。「同調圧力」に屈した。
なぜか。それをとことん問い詰めていくと、我ら真宗門徒が阿弥陀さんの批判を聞くことができなかったからだ。阿弥陀さんを中心に生きるのではなく、「同調圧力」を生みだす集団におもねたからだ。さらに「同調圧力」をかける側に回ったからだ。それは、自らの持っている「同調圧力」を対自化できなかったということだ。
それもそのはずだ。人間には「同調圧力」を見ることができない。それは透明な「空気」みたいなものだ。いじめ集団には、いじめられる側の圧迫感が見えないのと同じだ。 「過去は未来の鏡」である。これからも〈人間界〉の「諸問題」に直面したときには、〈阿弥陀中心主義〉でいくべきだ。人間は未来永劫、「間違う存在」だから、阿弥陀さんという〈真実の鏡〉をたよりにするしかない。阿弥陀さんだけが〈人間界〉を絶対批判できる眼を持っている。決して、人間を、そして〈人間界〉を信じてはならない。〈人間界〉には救いはないぞと、阿弥陀さんは叫んでいる。
東京6組 因速寺 武田 定光 師 『東京教報』177号 巻頭言(2019年9月号)