0歳児から就学前までの大勢のこどもたちと生活する中で、日々様々な出来事に出遇います。
ある日、3人の年長児が、砂場の近くでカップを見つけました。カップには、砂が平らに詰め込まれていて表面はよく磨き上げられたようでツルツルしています。それを見た1人が、「カップ使いたいからこわしちゃおうか」と言いました。でも、それを聞いたもう1人が「つくった人が悲しむから、壊さずに置いておこう」と伝えました。3人はそのまま壊さず別のものを使って遊び始めました。
私はその様子を見て、その場にいない、誰だか分からない、顔も見えない相手に思いを馳せることのできる素晴らしさに、心を揺さぶられました。
園で生活する大人とこども。どうしても大人が主となって行動する構図をつくってしまう私です。でもこどもたちは、小さいながらも大人と同じようにいろいろな事象に出遇って、様々なことを感じ、思考を巡らせて生活をしています。「だめな人などひとりもいない」は、今は亡き前理事長の法話での口癖でした。
一人一人が尊いひとであることを忘れず、心の内を覗きながら、遊びの中で、園生活の中で”その子らしく輝ける”ように心を働かせることが、私たち保育者の大切な仕事なのだと思います。
創立から110年を過ぎた現在もお寺の境内に園舎を構えさせていただいています。大人もこどもも「ののさまの暖かな眼差し」を感じつつ、目には見えない大勢の方々に感謝しながら、ともに遊び、ともに育ちあっていける学び舎でありつづけたいと思います。
『Network9(2022年12月号)より引用』髙松 里子(慈光幼稚園 園長)