私の書斎には、たくさんのお酒の一升瓶がある。一日の仕事を終えて、ちょっと一杯。まず最初は香りのきつい芋焼酎をロックで。う~ん、うまい。二杯目は奄美の黒糖焼酎、これもロックで・・・。こうしていつのまにかほろ酔い気分の、単なる酔っ払いの中年おやじが完成していく。
「人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か」。この法語は、ある友人の寺報の中にあった言葉。のんべえの自分には、とても分かりやすい法語だ。まだたくさんあると思っていたお酒のビンが、いつの間にか空っぽになっていく。身をもって実感できる事実である。
時の流れはひとときもとどまることはない。私たちの生は確実に終わりに向かってすすんでいる。時間には限りがあるのだ。だから本当に急がなければならないことを、きちっと見定めて急ぐのだ。
でも、あわてちゃいけない。「きちっと見定めて」、ということが大事。あわてて急ぐと、足元にあるものにつまづき、こけてしまう。何を急ぐのかを、人々に聞きながら、教えに聞きながら、急ぐんだ。あわてて急ぐのではなく、ゆっくり急ぐんだ。
こんな言葉もある。
一日の空過は、やがて、一生の空過となる (金子大榮)
厳しい響きのある言葉だけれど、逆にいえば、空しく過ぎることのない人生を生ききってほしい、そんな願いのこもった応援歌のようだ。のんきな私を促し続ける熱いメッセージのようだ。
合言葉は、人に会い、教えにたずねながら、「ゆっくり、急ぐ」。
酒井 義一(さかい よしかず 東京都世田谷区 存明寺住職)