令和元年東日本台風(台風第19号)に遭って
今までに経験のない災害に見舞われた。町は惨憺たるもの。泥やゴミに汚れ人々の殺気ともいえる空気が立ち込める道の真ん中で、自分の無力さを思い知らされ立ち尽くす。こんな時に寺は何ができるのか。
泥だらけの格好のまま被災したご門徒が寺へ飛び込んで来た。「お内仏がだめになってしまった。どうしたらいいですか」と言われた。まだ家の中は泥だらけ。一階の鴨居まで浸水した家の片付けや修復は考える余地もない。それなのに被災してすぐにお内仏を心配し、家より先に直したいと訪ねて来られたのだ。この人の為に何ができるか。被災したお内仏とお名号を、またご門徒の元に戻すにはどうしたら良いか。今現在も問い続けている。
また、教区※1や組※2の協力のもとサロンを開催し、母親達の分かちあいの場を設けた。これにはたくさんの人の協力や支援が届けられた。支援していたつもりが支援され、いつどのように立場が変わるかわからない。その中で一人のお母さんが話してくれたことが印象深い。「こんな状況の中、毎日夫婦喧嘩ばかり。何で私はここにいるのかと思う。でもそんな時は子ども会で聞いた当院さんの法話をいつも思い出している。それでまたがんばってるよ」。
災害に遭い感じたことは、人々は拠り所を求めるということ。それは何に集うのか。仏の御教えに集うのである。数あるボランティア団体や集会があっても、それができるのは寺しかない。その時に自分は何ができるのか。それは日頃の延長線上にしかない。
災害から一年が経とうとしている。新型コロナウイルス感染拡大により人々が集うことが難しい状況が続く。しかし、今も拠り所を求め「集いたい」と要望がたくさん届く。厳しい世の中だからこそ、原点に帰り聞法道場として人々が集う寺にしたいと身の引き締まる思いである。そして、被災したお内仏とお名号を、元の通りご門徒へ戻したい。それが地域の復興へつながれば、こんなにうれしいことはない。
成田 麗子(なりた れいこ 長野県長野市 西嚴寺准坊守)
※1全国の真宗大谷派の寺院を25の地域に分けたもの。長野県は東京教区に当たる。
※2教区の寺院をさらに細かく分けたもの。長野県は6つの組に分かれている。