肉食妻帯・非僧非俗、これは私にとって親鸞聖人を想うときの大切なキーワードです。親鸞聖人は9歳で出家し比叡山にて修行されました。29歳、比叡山を降り京都吉水の法然上人の弟子となられ、念仏の道に入られました。35歳、僧籍を奪われ罪人として越後に流罪。自らを僧に非ず俗にあらずといわれ、僧から俗へ改めさせられる中で仏弟子としての道を歩まれ、同時に僧侶としてはタブーとされていた肉食妻帯の生活を送られました。
当時、肉食妻帯は僧侶にあるまじき行為でありますが、現代を生きる私の日常生活に非常に近い生活形態であるため、とても親近感を覚えます。そしてそこに一人でなく二人で歩く人生、それぞれの人生の成り立つ背景を考えれば、自分一人の世界よりも二人の世界は二倍どころかとてつもなく広がる世界を感じるのであります。
しかしながら親鸞聖人を想うときの大切なキーワードの受け取りはこれでいいのでしょうか。当時の社会において僧侶が結婚することの重大さ。書は人なりといいますが、親鸞聖人のあの激しい字体。なんとか死罪を免れたとはいえ越後流罪の重さ。親鸞聖人を人生の依り処としていただくとき、生暖かい親鸞聖人像ではどうも違うような気がしてなりません。
そこであらためて非僧非俗の精神をいただきなおすと、そこには結婚という一人でなく二人で歩く人生というものを超えて、この世に生きる全ての人と共に生きるという有り方。一人ひとりと向き合っていく人生の有り方。そしてその中でこそ歩む仏道の大切さを語ってはいないか。ここにこそ大乗仏教の精神が脈打っているのではないかと気付かされるのであります。そこにこそ自分の本当の姿がみえてくると同時に、あらゆる人の存在が大切なものとして感じられてくる世界が広がるのではないでしょうか。これこそ念仏の教えによって開かれる「つながりを回復した世界」ではないでしょうか。
となると「肉食妻帯」「非僧非俗」のキーワード、これは親鸞聖人の、あえて「念仏の教えからもう後には一歩も引かない」という覚悟の名のりとして聞こえてきます。生きていくことが大変な今だからこそ、人と語り合い触れ合っていく中で念仏の教えに真向かうことを心がけていきたいものです。
禿 信敬(かむろ しんきょう 真宗大谷派東京教務所 前所長)