ある研修会で『一休と浄土教―その虚実と「禅と浄土」イメージの展開』を講題として、お話をいただきました。一休というと私にとっては「一休さん」というアニメがまず思い浮かびます。一休がとんちを使って身の回りに起こる様々な事件や問題を痛快に解決していく物語であります。
また、真宗門徒では逸話として一休と蓮如上人のとんち比べが広く知れ渡っております。例として、お金持ちが持ってきた馬の絵に一休が「馬じゃげな」と賛して蓮如がその隣に「そうじゃげな」と賛した話などがあります。
では、実際の一休と蓮如上人の関係性はどのようなものだったのでしょうか。その疑問に先生は残されている文献や当時の風土状況、時代背景をもとにお話ししてくださいました。
まず、文献として『一休和尚年譜』や『蓮如上人御一代記聞書』などからは一休と蓮如の関係はみえないとのことでした。また両者が活動していたとされる堅田では、一休は定住しておらず蓮如上人が堅田に来られた時期とは重なっておりません。そのことから堅田を舞台に緊密な関係を築いていたと考えるには無理があるのではないかとのことでした。
そのような史実があるなか、「一休と蓮如上人の親しい関係性を(ほぼ無条件に)認め、その実像と虚像についても混同している点がみられる」というのが講義のはじめに提起された問題であります。
私は、この二人に関係性があったと初めて聞いたときはどこか誉れに感じたことを覚えています。昔から知っているアニメのモデルとなった一休と蓮如上人が仲良くとんち比べをしていたなんて素敵じゃないかとさえ思いました。自分にとって都合のよいことにこうも「疑」というものが出てこないのだとあらためて実感しました。
自分都合で物事を受け取ると頭のなかでさらに「私の都合」が展開されていきます。そうなると実像というのがどんどんとぼやけていってしまうようです。事実と向き合いたいと思っているのに気づけば反対の方向を向いているそんなジレンマが根っこにあります。 ですが、そのことさえも私の内なる事実としてあることを自覚し、今回の講義のように丁寧に物事を探る先生の姿勢が私の学びとなりました。また、このとんち話とともに現在に至るまで伝わってきた「教え」も事実としてこれからも大切にしていきたいと思います
『Network9(2024年10月号)より引用』内藤 友樹(東京1組 光桂寺)







