「人は見かけによらぬもの」ということわざがある。人間は外見ではないという意味も含まれていると思うが人様を見るときどうしても容姿や社会的立場・能力などでその人を判別し先入観を持ってしまう。
先日、衛星放送でスポーツ番組を見ようとしたら試合が中止で「水戸黄門」をやっていた。1960年代のオリジナル版であった。しかたなく見ているうちに郷愁に誘われてしまい、里見浩太朗のメリハリのきいた口上や東野栄治郎の抜群の存在感に思わず平伏してしまいそうになった。わかっているのになぜいつも感動できるのだろうか?もし自分で名告ってしまったら単なるホラ吹きじいさんになってしまって誰も信用してくれないかもしれない。改めて演出のすばらしさと脇役の重要性を感じざるを得なかった。
人は自分の気持ちを代弁してくれる人に憧れる。何を代弁しているのだろうか?叶わぬ願いなのかそれとも解決できない不満なのだろうか。それが実現できなくても、できないからこそファンタジーの世界に入り込み一時の充足に浸ろうとするのだろう。
ある人がこう言った。「もしやるべき事と自分がやりたい事が同じだったら、どんなに楽に生きることができるだろう、私は自分ができない事ばかりやろうとしている」人間は、わからない事をわからないままにしておけない。それはさまざまな不可能を可能にしてきた歴史が物語っている。しかし、少し立ち止まって周りを見ると今迄目も呉れなかった日常が、豊かに彩りに充ちた世界であることに気がつくだろう。「立ち止まるな、追い越されるぞ」そんな歌が流れてきた。
『Network9(2024年12月号)より引用』金庭 順三(東京宗務出張所 用務員)







