人間の脳の一日に受け入れられる情報量はある程度決まっているそうである。ある大学機関の調べによると、実際に脳が1秒間に受け取っている電気信号は110万個にもなるが、その中で意識している信号はたったの50個程度に過ぎない。0.005%という極小量の情報を普段私たちは認識し、それを世間・世界だと思っていることになる。
ざっと計算してみると1日に950億余りの情報を受け取り、ほぼ全てのものを忘れる・もしくは無意識的に処理していることになる。つまり、逆説的にいえば人間の意識では沢山のものごと・情報に耐えられないということであろう。現代においては、PC・スマホ等の所謂IT技術が発達し、ただでさえ意識出来ない情報が津波の如く脳へ流れ込み、処理を行っていることになる。
「現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分であり江戸時代の1 年分」という言葉があるように、時代を追うごとに加速度的に脳の情報過多を招いているように思えてならない。
仕事柄、教化事業等で沢山の先生方、御門徒さん方との出遇いを通し話を聞く機会が多い。その場は「なるほど、そうであったか」と感銘を受け、記憶していたとしてもあっという間に記憶の中に埋もれ、それを味わう時間が無くなっているような感覚を覚えるのは私だけであろうか。
先日、教区推進員養成講座の折、講師より「空白」の大切さを教えていただいた。本当に大事な話を聞くために「空白」を設けなさいと。努力して空白の時間を作るようにとのことであった。様々な事柄があり、あれも大事・これも大事と思って殊に事業計画を立ててしまいがちになるが、本当に参加される方の事を思うと果たしてそれは正しいことなのか、立ち止まって考えさせられる言葉であった。
同じような感覚を覚える方は多いように思う。まずは一旦、スマホやPCを置いて、散歩に出かけてみるのも良いかもしれない。
『Network9(2024年7月号)より引用』寺本 智真(東京教区駐在教導)







