通夜や葬儀に会葬された際に、清め塩(きよめじお)をご覧になったことはあるでしょうか。会場に置かれてある場合や、会葬者に渡される会葬御礼の中に入っている場合もある、小さな袋に入っている塩のことを「清め塩」といいます。浄土真宗の葬儀の場合は、「浄土真宗のため、清め塩はありません」というような看板が掲げられている場合もあります。「清め塩」をもらっても、どのように使うのか、浄土真宗で用いないのはなぜか、そもそも清め塩はどのような意味があるのかなど、様々な疑問が浮かぶと思います。この記事では、清め塩に関する様々な疑問に応えてまいります。
清め塩とは、そもそも何?
「清め塩(お清めの塩)」は、通夜や葬儀に会葬した際、香典返しや会葬御礼に同封されている、または会場に用意されている塩の事です。清め塩には「身を清める」「邪気を払う」といった意味合いがあります。これは神道の考え方に由来しています。神道では、古くから死をけがれたものとして捉えて、葬儀に参列した方は、このけがれを受けているとされてきました。これを取り払うのが清め塩の役割です。古くは身を清めないままでは日常生活を送れない、とされていました。ここでいうけがれとは、お亡くなりになった方ではなく、お亡くなりになった方がまとっている邪気を指しているそうです。
浄土真宗で清め塩を使わない理由は何?
「清め塩」は、「死=けがれ」と見なし、死を忌み嫌う習慣から生まれたものです。真宗大谷派では死をけがれと見るようなことはしておらず、清め塩をする必要がないと考えています。人として生まれた限り、必ず私たちも死んでいきます。亡くなった方をけがれとして見ることは、同時に私もいつかはけがれになるということです。 生きていると悲しいことに大切な方が亡くなることは必ずあります。真宗大谷派では、亡くなられた方を仏様(諸仏)であるといただいております。仏様とは、いま生きている私たちに、本当に大切なことを教えてくれる働きの事です。通夜や葬儀の際、死に出遇うということは、私も必ず死んでいく身であることを故人から教えられ自覚する場でもあります。ですから真宗大谷派において故人とは、これまで同様、またはそれ以上に親しむべき存在なのです。