笈の平碑【笈の平碑】
碑【旧跡】 親鸞聖人は、東国の教化を終えて帰洛の途中、箱根旧街道の「笈の平」にて、付き添ってきた性信房と別れた。その地に、遺跡碑と歌碑が建っている。「病む子をば預けて帰る旅の空、心はここに残りこそすれ」 住所:足柄下郡箱…
碑【旧跡】 親鸞聖人は、東国の教化を終えて帰洛の途中、箱根旧街道の「笈の平」にて、付き添ってきた性信房と別れた。その地に、遺跡碑と歌碑が建っている。「病む子をば預けて帰る旅の空、心はここに残りこそすれ」 住所:足柄下郡箱…
伝説【旧跡】 鎌倉幕府の命で『一切経』の校合に宗匠として招かれた親鸞聖人は、鎌倉常盤(鎌倉大仏の北側)に建てられた坊舎に迎えられ、逗留されていたと伝えられている。常盤には「一向堂」という地名がバス停や公園の名称に残ってい…
像【像】 戦後、昭和39年8月、箱根神社の境内(箱根権現の楚石付近)に親鸞聖人像が建てられた。学徒動員で犠牲となった学生を供養するため「親鸞聖人慈悲の像」を「殉国学徒慰霊の像」として建立された。 住所:足柄下郡箱根町元箱…
像【像】 箱根権現御本地仏であり、『本願寺聖人伝絵』の中で、「権現仰せられて云わく、『只今われ尊敬(そんきょう)をいたすべき客人・・・』」との示現を与えた阿弥陀仏。廃仏毀釈の際、箱根権現別当から萬福寺に譲り渡された。 住…
像【像】 親鸞聖人は帰洛のおり、箱根権現の示現を受けた神官たちによって饗応を受けた。その際、聖人は形見として真影を遺された。廃仏毀釈の際、親鸞聖人像は萬福寺へ移され、のち、元・浅草本願寺に寄託された。 住所:足柄下郡箱根…
碑【旧跡】 明治以前は、箱根権現には金剛王院東福寺(真言宗)が置かれ、その住職が箱根権現の別当に就いていた。更に、親鸞聖人堂があり、親鸞聖人像が安置されていた。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際、堂塔伽藍はすべて破壊され、…
伝説【旧跡】 箱根神社は、天平宝字元年(757)、萬巻上人によって創建され、当初から神仏混淆(こんこう)で箱根権現と称していた。親鸞聖人は帰洛の途中、箱根権現の示現(じげん)を受けた神官たちによって温かく迎えられ、ご逗留…
伝説【切り株】 親鸞聖人は聖徳太子にゆかりのあるこの地に草庵を結ばれ、後に門弟の信楽房に託す。聖人の「袈娑掛けの松」と呼ばれていた松の巨木があったが、現在は切り株のみ残している。 住所:厚木市飯山455 お問い合わせ:T…
像【像】 親鸞聖人自作の像と伝えられている。調査では開基の了源とし、「木造伝了源坐像」の名称で国指定文化財に登録されているが、善福寺では古くから親鸞聖人像として拝されてきたことから、親鸞聖人坐像としてご給仕されている。 …