葬儀の後に勤められる「初七日(しょなのか)」。昔から大切な仏事として勤められており、ご存知の方も多いのではないかと思います。しかし、「初七日ってそもそも何だろう」「初七日はどのようなことをするのだろう」と尋ねられると、曖昧な方もいらっしゃるのではないでしょうか。ここでは、「初七日」とは何か、どのようなことをするのか、初七日法要に込められた願い、関連して「中陰(ちゅういん)」についてお話しいたします。
七日七日(なのか なのか)
お亡くなりになった日を入れて 7 日目を「初七日(しょなのか)」といいます。また、お亡くなりになられて四十九日間のことを中陰(ちゅういん)といいます。七日ごとのお勤めを初七日(しょなのか)・二七日(ふたなのか)・三七日(みなのか)・四七日(よなのか)・五七日(いつなのか)・六七日(むなのか)、そして、七七日(しちしちにち)あるいは四十九日(しじゅうくにち)といいます。四十九日は、中陰が満ちたということで、満中陰(まんちゅういん)ともいいます。
初七日法要を勤める
「初七日法要をどのように勤めるの?」とのことですが、特に人を集めて勤めなければならない法要ではありません。しかし、地域によっては上記の七日ごとのお勤めを大切にされている地域もありますので、お手次ぎのお寺さまにお勤めいただき、亡き人からいただいたご縁を大切にし、教えにふれていただきたく思います。
また、葬儀告別式中に「繰り上げ初七日」と言って、初七日法要を組み込んでお勤めをされる方もいますが、本来は繰り上げてお勤めするものではありません。通夜葬儀は、一週間も待たずにお勤めされる場合がほとんどですから、実際の「初七日」までは、まだ日数があるわけです。けれど、葬儀告別式を終えて、すぐに初七日を迎えるわけですから、続けて参拝するのは大変だからと、いつの頃からか「繰り上げ初七日」をお勤めする習慣が定着してしまいました。葬儀告別式は葬儀告別式として丁寧にお勤めしてください。
中陰壇
四十九日(満中陰)までは、お内仏の近くに「中陰壇(ちゅういんだん)」を設けて、法名とご遺骨を安置します。
お墓のある方は、四十九日(満中陰)の前後に納骨を行う場合が多いようです。四十九日法要(御納骨法要)をお勤めした後、中陰壇は片づけます。納骨のお日にちに関しては、お手ぎのお寺さまとご相談ください。
亡き人を縁として、わが身を見つめる
インドから伝わってきた教えでは、死者は次の生まれ先が、7 回目の七日、つまり満中陰までに決まるという考え方がありました。仏教諸宗派では、その考え方に則り、亡き人がより良い生まれをされるようにと、供養(法要)をお勤めします。初七日をはじめとする七日毎の法要は、亡き人のより良い生まれのために勤められています。
しかし、浄土真宗においては、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏申す衆生(生きとし生けるもの)は、阿弥陀如来に摂(おさ)め取られる(阿弥陀如来の慈悲のなかに包まれています)という教えのため、死後の生まれ変わりのために法要をお勤めする道理はないのです。いのちある者は、朝、どんなに元気な姿を見せていても、その日の夕べには終えていくかもしれないいのちを生きています。いつ尽きるかわからぬいのち、限りのあるいのち、年齢順に死ぬわけではないいのちを、私たちは生きています。そのようないのちを生きているにもかかわらず、自身や身内の死はまだ先のことと、死を遠ざけて生活をしています。身近な人の死は、そのような生活をしている私の心を揺さぶります。先往く人は、いのちの相(すがた)を、わが身を持って示してくださっています。その相から何も感じることなく生きるのか、亡き人から大切なことを教えていただいたと感じ取って生きてゆくのか。
死への向き合い方で、これからの私の人生が大きく変わっていきます。