「何を以って僧侶なのか」
この言葉は特別講義にて曹洞宗・恐山菩提寺院代である、南直哉先生が講義中にふと口にされた言葉です。「何を以って僧侶なのか」と。この言葉を聞いたとき私はいつ僧侶になったのだろうかと思い起こしました。 私は母方の実家が寺で…
この言葉は特別講義にて曹洞宗・恐山菩提寺院代である、南直哉先生が講義中にふと口にされた言葉です。「何を以って僧侶なのか」と。この言葉を聞いたとき私はいつ僧侶になったのだろうかと思い起こしました。 私は母方の実家が寺で…
私は真宗門徒として生きている中で、何の為に、誰の為にこの仕事をして、真宗の僧侶として生きているのかを考えます。それはお寺のため、門徒さんのため、そして何より私の周りにいる俗世間を生きる真宗の教えを知らない皆のためだと思…
『阿弥陀さんの謝罪』 ひとは、誰かに謝罪をしてもらわないと気の済まないものを抱えている。車庫から車で、外の道路に出ようとしたとき、左から走ってきたバイクと接触しそうになった。バイクの運転手は、「いい加減にしろ、このやろ…
私の前職は高齢者向けの福祉用具の営業でした。例えば、杖は利用者の生活範囲を広げる助けになります。買い物に出かけるなど、自立した生活を送るために欠かせません。また、利用者自身が自立した生活を送ることで、介助者の負担を減ら…
私が出遇った言葉は、「阿弥陀様のご利益は結論を与えないという反問性」と「意味を自分たちが生きる糧にしている」です。まず「阿弥陀様のご利益は結論は与えないという反問性」ですが、「如来は自分の中に入らず対面するものであると教…
『「仏説」としての「煩悩具足の凡夫」』 我々人間は、どうして「我々は…」という感じ方をするのだろうか。野球のWBCの試合を観戦していたとき、どうしても、「日本」を応援したくなる自分がいた。相撲や卓球の試合を見ていても、別…
『「存在倫理」の疼き』 誰が見ても、ロシアによるウクライナ侵略戦争は間違っていると思えるのに、その考えは、いわゆる「西側」という色メガネを掛けた人間たちの感覚なのだと教えられた。それは、 「国連人権理事会での『理事国とし…
『一人一世界(ひとりいちせかい)の奪回』 まさか二十一世紀になって、武力により他国を侵略するなどということが起ころうとは、思ってもみなかった。国連は、他国間の紛争仲裁システムだと思っていたが、これも組織の成り立ちに問題を…
『孤独感の罪』 二〇二二年一月二十七日に「埼玉県ふじみ野市」で起きた「散弾銃男立てこもり事件」が抜きがたい棘のようにこころに刺さっている。事件の完全解明はまだだが、私が気になった点は、犯人(六十六歳・男)が母親(九十二歳…
『希望をも超えた世界』 コロナ下にあって、みんな憂鬱な顔で暮らしている。このようなとき、〈真宗〉は何を発信できるのかと問われた。ただ、コロナについてはいくら探しても朗報らしきものは見つからない。そして原点に帰された。〈真…